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「この選択で良かった」と自分に言えること

by itayayukari

昨日、大学の部活動の同窓会があり、久しぶりに母校へ行きました。
茶道愛好会だったので、同窓会もお茶会になっています。
総勢100名。艶やかな着物姿。あちこちにお世話になったOGの先生のお姿。
随分、昔のような最近のようなという感じですが、卒業して、丁度10年になります。

大学に入学する頃、私は人生で初めての挫折の真っ只中でした。
何事も、頑張って努力したら報われると思っていた10代の頃。
「学校の勉強が少し出来ることしか、取り柄がない」と思っていた当時の私にとって、
志望している大学に落ちたということは、これまでの人生を否定されたかのような強烈な体験でした。
高校2年の夏から、祖父との密約によって、※1「勉強バイト」を在宅で行っていた私にとって、
「祖父の勧める大学に行く」ということを果たせたのは良いことと言えるのかもしれませんが
・・・とはいえ、「人生が終わった」位の絶望感を味わっていたのでした。

勉強のしすぎによる、肩こりが酷くなりすぎて、首も回らず、肩こり由来の頭痛や目の奥の疲れは慢性化。視力も極端に低下していた当時の私にとって、浪人しても、これ以上の成果を出せる気力もなくなっており、学びたい心理学が学べるということだけを頼りに、大学への進学を選択しました。その時に、もう1つ決めたことがあります。それが、

『この学校に行って、良かった』と卒業する時に心の底から思えるようになること。

10代の私にとって、どうしたら、『この学校に行って、良かった』と思えるのかなんて、わからなかった。

そんな訳で、思いついたことを全て行動に移しました。
まずは、学校から逃げないように。友人の学校に潜りで授業を受けたり、授業をサボったりしないように。
高校の同級生との連絡を、ほぼ絶つことにしました。なんて不器用なのでしょう・・・。

今ならもう少し、うまく調和できる方法を思い付けるに違いないのですが、あの頃は、今とは全く異なる人間というのか。生きづらさを感じていました。(だからこそ、自分が生きやすさを獲得してきた機会を他の人にも体感して欲しくて、現在、対話力のトレーニングや言葉のおけいこを主催しています。そう考えると、本当、経験があるからこその今なのですが!)
幸い、21歳の誕生日の時に、高校の同級生達が誕生日のお祝いをしてくれたので、
それから、再び交流が活発になりましたが、それがなかったら、未だに音信不通のままだったことでしょう。最初の1年は、きっと、私と同じように、友達も気まずかったりしたかもしれません。

次に、「この学校に行ったからこそ〜できた」を増やす試み。
「この学校に行ったから〜することができた!」と言いたくて、手当たり次第に見える位、がむしゃらに様々なことに取り組みました。教職を取ったり、4年間で200単位以上単位取得して幅広い物事に触れる機会を得たり。テニスのサークルや、アナウンス研究会、茶道愛好会という部活動の掛け持ち。テレビ局で実際にテレビに出演するアルバイトなど、先輩の紹介での数々の珍しい機会を得ることができました。
最初は、「何も考えたくなかった」というのもあったと思います。
1週間は7日しかないのに、アルバイトを週に10回やりながら、部活を3つ掛け持ちして、毎年、単位の上限申請をしながら、週に6回位学校に行ったり、少人数の授業の発表の資料を作っている生活。
何度もお風呂で溺れかけたり、移動中に溶けるように眠っていました。
でも、次第に学校の内外に沢山の友人・知人が出来ていて、自分自身のやり甲斐や居場所が出来ていきました。

卒業する時に、「本当にこの学校で良かった」と言える自分になっていました。
生まれてから、死ぬまで、ずっと一緒にいるのは自分だけ。
自分の選択を、他人がとやかく言ったと言っても、自分が正解にして行けばいい。
この体験は、その後の人生にとって、非常に力付けになるものでした。
銀行を退職して、自分で仕事をする時も、周囲の人が心配したり、反対してくれたり、様々な反応でしたが、自分が「銀行を辞めて良かった」と言える自分であることを選択したので、迷いはありませんでした。
人は選択の連続です。ただ、その選択の結果を判断するのも、自分自身です。
その時に過去の選択をした自分にどんな声かけをするのか。
一瞬、一瞬の積み重ねであると同時に、過去に影響されない、新たに始まる一瞬でもあります。
その時々を最善を尽くして、生きている。
自分への言葉。時にダメだしのように湧いてくることもありますが、自分への言葉に耳を傾け、
1つ1つの選択を承認して、その時々を味わってゆくことこそが人生の醍醐味なのかなぁと思ったりします。

季節は春。入試の結果によっては、悔しかったり、絶望している人もいるかもしれません。
でも、それが、次の素敵な結果を生み出すキッカケになるということはよくあること。
一見、望む結果ではなくとも、結果を変化させてゆくことは出来ます。
新学期へ向けて、今を存分に味わい尽くすことから初めてみるのもオススメです♬

※1「勉強バイト」
高校2年生の夏、ZOZOマリンスタジアムでのビール売りのアルバイトをしようとした私。
両親に、それよりも勉強して欲しいと反対されます。
初めてのアルバイトが出来ずに、不満な私は事情を同居していた祖父に話をします。すると祖父は、
「夏の暑い日に、本当に重たいビールを担ぎたいと思っているのか?単に、お金が欲しいのではないか?
お金を稼ぐなら、そんな暑い日に重たいビールを稼がなくても、いくらでも、自分がやりたい仕事で稼げばいい。高校生はバイトがない?なんで、既存のバイトに当てはめて働こうなんて考えるんだ?バカじゃなかろうか?お金を稼ぐことは、自分にしか出来ない価値を探して、お金を出してくれそうな人に提案するだけ。お金を出す人が納得しさえすれば良いのだから、何も難しいことはない。」という話をしてくれました。なるほど!と納得した私は、祖父にあるアルバイトを提案します。その名も勉強バイト。
祖父は毎年、小学校の同窓会で、友人の息子さんや娘さんが名門の学校に行ったことを自慢されていました。そこで、孫である、私が祖父の望む大学に入れば、祖父は同窓会で自慢することが出来て、同窓会の楽しみが増えるのではないか?初孫である私がバイトをすることで、周囲の人よりも早く、孫の大学を自慢することができる。勉強に興味のなさそうな弟や、まだ、年下の従兄弟達が大学に行く頃、祖父は生きているか分からないことも含めて、説明をしました。要は自宅で勉強すると、1時間に700円もらうという密約です。両親は、家で勉強を始めたので、怒ることもなく、全員がwin-winになる良いアイデアでした。祖父次第という部分もありましたが、祖父は面白い!とのってくれたので、「勉強バイト」は成立しました。

この後、祖父の「年賀状代筆バイト」など、季節・用途に応じたアルバイトを家庭内で開発した他、大学生になると、心理学専攻で、人の話を書き起こしした経験を活かして、テレビの制作会社へインタビューの書き起こしのあるバイトの提案をして、学生をしながら、フリーのテープライターになるなど、発展していきました。今も、自分の価値を見極め、関わる人達にとって、win-winの事業を考える際の原型になっています。


itayayukari
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